桜のピークはとうに過ぎ去り、気持ちの良い陽気の日が増えてきた。こうして文章を書きながら窓の外に意識を向けると、気持ちよさそうにそよぐ木々の音や、楽しげな鳥たちの声が聞こえてくる。よく知らないのだけど、ヒバリだろうか。

#1 退職後の暮らし
会社を辞めてから丸3ヶ月が経過。時の流れは早いもので、うかうかしているとアッという間に老人になってしまいそうだ。
会社員には戻れない
今の僕は、「2度と会社員をしたくない」という想いで生きている。少なくともこの3ヶ月間は、1ミリたりとも就職に対するモチベーションが湧いてこなかった。
決して働きたくないわけではないのだが、他人の利益やビジネスのために自分の人生を捧げたいとは思わない。つまり、会社員という選択肢は排除される。1日8時間も拘束されるばかりか、それを週に5日間も強いられるなんて、人生を捧げている以外の何者でもない。
執筆、写真、動画、デザインなど、それらの創作活動が僕にとっての生き甲斐であり、幸せの根源である。創ることに集中したいし、自分の時間は自分のために使いたいのだ。
本音を言うと、お金もそこまで要らない。もちろん、生きていくのにも創作するのにも先立つものが必要で、お金はあればあるほど良いのだけど、稼ぐこと自体にあまり気を取られたくはない。稼ぐの、あまり得意じゃないし。
そんな人間が、会社を辞めてどのように暮らしているかということをまとめてみた。
Youtube活動
基本的にはYoutubeばかりしている。観る方ではなく、発信する側としてだ。これがなかなか難儀していて、そのせいでブログをサボりまくったりもしていた(言い訳するな)。
この流れでご紹介しておくと、2月に「THE CiNE街C SOUND」というチャンネルを立ち上げ、いろいろな街の風景をシネマチックな映像にパッケージするという試みを行なっている。
何のために始めたのか?と言われれば、自由に創作活動ができるフィールドを作りたいというのと、あわよくばそれで収益を得て生活していきたいという2つの理由を答える。邪推だけど、Youtubeやってる殆どの人がそういう思惑でやってるんじゃないだろうか。
1つ目の創作活動に関して。
僕にとってみればこのチャンネルは一つの表現であり、「日常に内在する儚さと、その美しさ」みたいなものを具現化する試みなのだ。その裏側には「“今”よりも大切な“未来”など存在しない」というメッセージがある。
自分を取り巻く環境は、常に目まぐるしく変化している。いま一緒にいる人が明日いなくなっても不思議ではないし、見ている景色も決して不変ではない。「価値」は常に今この瞬間に存在していて、いくら未来を気にしたって、その価値は存在しないかもしれない。僕は、会社を辞めるときに散々未来に引きずられてしまったが、その結果、今を台無しにした。
おっと…こういうのって、語り出すと急にダサくなるのでこのあたりで(笑)
まぁ、散々能書きを垂れてみたものの、現時点でのチャンネル登録者数は39人。そう、盛大に伸び悩んでいるというのが現実だ。Youtubeの収益化条件のひとつに「登録者数1,000人以上」というのがあって、それを思うと気が遠くなりそうだ。
しばらくは試行錯誤を繰り返し迷走しそうな予感はするが、伝えたいことはハッキリしているし、作業自体は楽しく取り組めているので、このままダメ元で続けてみようと思っている。
生活リズムが崩壊
ここ最近、自分でも分かるくらいに生活リズムが崩壊している。まぁ、そうは言っても朝は8時には起きるし、夜も24時までには眠っているので健全な方ではあるのだが。
いかんせん、日々のルーティンが管理できなくなってしまった。ペースを保てない。たとえば、ある日は朝6時に起きて筋トレをしコーヒーを飲み、掃除・洗濯までこなせたけど、ある日は昼前までゴロゴロダラダラと過ごしてしまったり、また別の日は予定になかったのに突発的に出かけてしまったり、といった具合だ。
決して悪いことではないと思いつつ、計画通りに作業が進まないストレスや、継続できないことへの罪悪感などが深々と降り積もっていく感覚があって、気持ち的には穏やかではいられないのだ。ブログだって、本当はもっと更新したい。
なんとか改善を図っていきたいところ。
#2 誕生日を迎えた
個人的な話をすると、およそ一ヶ月ほど前、僕は41歳になった。
さすがにこの歳になると誕生日もさほど特別なものではないが、不甲斐ない息子を案じた父親が高級なランチをごちそうしてくれた。

41歳(数えで42歳)は男性でいうと本厄の年にあたる。そういう意味で、今年は少しばかり気が引き締まる思いがある。さてはて、どんな1年になるのやら。
年初にお伊勢参り
詳しくは別記事に譲るのだけど、僕は昨年末にメンタルブレイクし、以来会社を休んでいた。
そんな折、偶然にも伊勢神宮を参詣させてもらう機会に恵まれた。
年初めに友人夫婦と新年会をした際「毎年、初詣で伊勢まで行っている」という話を聞いたのだが、この翌日に行く計画を立てていたらしく、「よければ一緒にどう?」とお誘いいただいたのだ。
お伊勢さんは「呼ばれて行くもの」で、神様の思し召しがなければ何かしらの理由で辿り着けないと聞いたことがある。自分の状況や偶発的なお誘いも相まって、今回はしっかりとお呼ばれしたのだと思い、ありがたく便乗させてもらうことにした。


せっかくなので、本厄を平穏無事に過ごすために御祈祷もしてもらうことにした。なんだか、そうしなければいけない気がした。
内宮に到着したのが受付時間ギリギリだったので、もしかしたら間に合わないかもと半ば諦めていたのだが、これまた「呼ばれた」のだろう、なんとかその日の最終に滑り込むことができた。ちょうど僕たちで受付は締め切られた。
御饌(みけ)という御祈祷を受けながら、僕はこんなことを祈った。
「この1年の決断が、自分の人生にとって良いものになりますように。」

この時点で休職中だった僕だが、復職できる気配がまったくがなく(とても戻れる気がしなかった)、だったらいっそ退職しようと考えていた時期だった。
その願いが届いたのだろうか、1ヶ月後に僕は会社を辞めた。
#3 41歳の豊富
奇しくも、厄年にメンタルを壊し会社を辞めた僕だが、今思っていることを率直に語ってみようと思う。41歳の抱負と称して。
結論を言うと、これからの人生の基盤を固める1年にしたい。新卒から18年間もの間、会社員として他人のやりたいことに心血を注ぐ人生を送ってきたけど、もうそろそろ自分や自分の大切な人・もののために生きたっていいんじゃないかと思い始めた。
そうなった場合、僕にはもう会社員という働き方はできないし、したいとも思わない。お金のために、やりたくもない仕事を意味不明な精神論で正当化するよりも、自分が考えていることを形にしてみたり、心から賛同できる、グルーブできる人や活動のために自分の持つ力を発揮していきたい。なにより、邪念なく、健やかな気持ちで創作に打ち込んでいたい。
そうやって自分の魂を喜ばせてあげることで、そのエネルギーが他人にも波及していくものなんじゃないだろうか。シャンパンタワーの法則みたいに。
まぁ、そんなところだ。41歳の豊富。
おわり
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